ピラティス誕生の背景

Tomoko
Tomoko

こんにちは。ピラティス・ヨガインストラクターのTomokoです。

今回は「ピラティス誕生の背景」についてお送りいたします。

ボディワークとして有名な「ピラティス」が人の名前なのってご存知ですか?

「ピラティス」というのは、ジョセフ・ヒューベルト・ピラティスという方が作られたメソッドなのです。


ドイツで生まれたジョセフ、実は生まれつき体が弱く、幼少期の頃は喘息やくる病、リウマチ熱を患わっていたそうです!
それを克服するために、器械体操やボディビル、スキーやダイビングなど、様々なスポーツや身体運動を学びました。
また体操選手の父親と自然療法士の母親の影響も受け、西洋だけではなく東洋のメンタルとフィジカルを含めた哲学とボディーワーク(ヨガや禅も)学んだのです。


ジョセフ自身、逆境に負けず、どうすればより良くなるのかを考え行動し、そして柔軟に色んなものを取り入れていいとこ取りしていたんですね!

そしてボクシングまで探求していたジョセフは、1912年にイギリスに渡り、なんとサーカスのパフォーマーとしての職を得たそうです。

 

しかしここでも逆境に襲われます。。。
1914年に第1次世界大戦が勃発、敵国の人間であるジョセフは、収容所に捕虜として抑留されてしまうのです。

ですがジョセフ、転んでもただでは起きません。
同じく抑留されていた仲間の兵士たちにレスリングや護身術、リハビリ法を教え、マットでの運動や小さい器具を開発していきました。

これが後に『コントロロジー』と呼ばれるピラティスメソッドの原型となっていきます。
 *ピラティスメソッド→しなやかで柔軟かつバランスのとれたボディへ近づけていく、心と身体の一体化を目指すメソッド

ピラティスのエクササイズが、マットの上で仰向けやうつ伏せで行うものが多いのは、そういう理由によるものです。

 

第一次世界大戦の後半になるとマン島に移送されて、看護師に似た役割を担うことになります。
そこで寝たきりになった負傷兵のために、ベッドのスプリングを使って、寝たままでもリハビリができるように改良していきました。
これが今のマシーンピラティスの原型です。

 

1918年の世界的インフルエンザの大流行によって多くの死者が出た中、彼のメソッドを実践していた仲間は一人も亡くなることはなかった、なんて逸話も残っています!

 

1926年、ジョセフはニューヨークに渡り、8番街のボクシングジムの中にスタジオを開設しました。
同じビルにはいくつかのダンススクールとリハーサルスタジオがあり、「ケガの回復とパフォーマンスの向上に素晴らしいメソッドがある」と聞き付けた多くの著名なダンサーが彼の元を訪れました。
そして彼らは、ダンサーが怪我をすると彼のもとに送り出していきました。

こうし『コントロロジー』(ピラティスメソッドの原型)は、多くのダンサーにとってトレーニングとリハビリテーションとして必要とされていきます。

これは現代のプロのダンサーやスポーツ選手の方々もそうですね!

 

ジョセフは
「あと50年たったら自分のメソッドが世界中に広まっているだろう」
という言葉を残しています。

ジョセフから直接指導を受けたファーストジェネレーション(第1世代、エルダー)や彼らの弟子であるセカンドジェネレーションと、世代を通してピラティスメソッドは発展し広がっていき、ジョセフの言葉通り世界中に広まりました。

 

ジョセフの探究心と向上心、そして行動力には感服します!

 

Tomoko
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これはここ数年で自分でも経験したことなのですが、自分のリミットを決めるのは自分なんですね!

これからもつまらない枠組みを作らずに生きていこうと思います(笑)